口コミ

小林?の8月11日のエントリーより

100万人の「クチコミ」パワー──第1回:「クチコミ」でなぜ物が売れる?
@cosme(アットコスメ)は近々分析したと考えていたので備忘として載せておきます。

100万人の「クチコミ」パワー──第2回:クチコミってなんだろう?

口コミについても考えたい。

「@cosme」について、「なぜユーザーはクチコミを書くのですか?」「ユーザーにメリットはあるの?」とよく質問される。それに対して私は、「街角で井戸端会議するのにインセンティブはありますか?」と逆に聞いている

 確かに、その通りだろう。しかし、ただ話すことだけで満足を得られるのだろうか。満足は、自らの考えに対して、誰かが同意してくれるというから生じるのではないか。たとえば、話したことが絶えず否定されれば話すことのおもしろみはない。きっと井戸端会議でも、誰かの話に絶えず否定句を入れたら、きっと誰も話さなくなるだろう。否定されるにしても、「yes,but(そうですねぇ。でもこうとも考えられますねぇ)。」が限界かもしれない。「違います」から始まるフレーズでは話は終わるか、口論になってしまう。
 つまり、井戸端会議には、メリットがあり、それは「誰かの同意」なのではないか。とすると、書き込みをするのは誰かが同意してくれるという期待があり、一人以上の同意があれば期待を上回り、書き込んだ当人は大いに満足を得られることになる。

化粧品のクチコミも同じように、商品の絶対的商品力を評価しているのではなく、商品力はもちろん価格や店頭・評判等で形成された自分の「期待値』と比較している。比較した結果、満足したかどうかを「評価」として書くことが格段に多い。

 この期待値とのギャップが評価なら、他人はなぜ同意するのであろうか。まず個人の期待値が他者にどうして受け入れられるのか。

 ただ、ユーザーは「広告で形成される『期待値』」にギャップがあることを経験則として持っているのではないだろうか。いま、多くの広告を通じて、商品の提供側が過剰に『期待値』を上げている、ということを肌で感じているのだ。その結果として『期待値』とのギャップを表現するクチコミを必要としているのではないだろうか

 広告が適切に機能するなら、多くの人の共通の期待が形成できるはずだ。しかし、その期待は多くの場合裏切られる。化粧品であれば、

肌質や年齢の条件が違えば効果も違うという場合は、自分に価値観が近い人が集うインターネットコミュニティーに参加し、そこに集まる意見を参考にするのだ。

 なぜなら、裏切られ度が比較的に似ていることになる。「肌に良いと広告で言っているのに、寒冷地に住む50代の肌には合わない」なら、北の地方に済む同年代の人がその化粧品を使って同じ裏切られ感を抱く確率は高い。既に使っているなら、「そうそう、そうなの」という反応があるだろう。
 逆に、広告通り、あるいはそれ以上に効果があるといわれれば、同世代同地域の人は感心を示す。カキコは同意を求めて集まり、そのカキコの内容は同類が集まるだけあって、効果や問題が追認されやすい。
 井戸端会議で語られる話は、地域的、世代的、家族構成的、年齢的に近く同意が形成されやすかった。それがネットに拡張されると、語る方は相手が匿名的であっても類似的特性をもつだけ親近感があり、拡張された井戸端会議となる。
 これまでと異なるのは、その発言に基づき、既存製品を改良したり新製品を開発する企業側の行動なのではないか。全国の井戸端会議から情報を収集するのはむずかしい。口コミが売り上げの上昇という事実によって確認され、それにうまく乗るというのが基本だったのが、ネットでは、テキストになって残っているため分析が可能となり、かなり早くから口コミの初期のうねりに対して対応ができるのだ。
 同意を求めて、人はカキコを続けるだろう。同意してくれる人がいれば。それを拾い上げようがあげまいが、人は書き続けるだろう。もちろん、カキコをした人々にとっても自らの特性にあった製品が開発されると言うことは歓迎することであるのだが。