誰のためのブログ

山口さんのエントリー「「墓標」としてのブログ」を読んでふと考えた。
 
 われわれの存在が他の人たちに認識され続けるためには、

  1. 物理的な存在であること
  2. 存在同士の交流があること
  3. 他の存在と異なるものとして、他者から識別されること
  4. 存在と交流が記憶(保存)されること
  5. 記憶(保存)が想起されること

というプロセスが必要だと思う。

 われわれが物的な存在として生活をしており、その生活の過程で他の人々と交流する。存在と交流が他の人々にとって、同じように交流している別の人たちとは異なるものとして識別されること(個人として他の人に認識されること)が必要となる。
 
 あの人のことは知っていると他の人が思い、それが記憶される。その他大勢ではなく、その人をその人として記憶されることが必要だ。そして、それがなにかのきっかけで思い出されることになる。
 
 このきっかけは物理的存在の場合(そこで生活している、活動しているなど)もあるし、交流(挨拶をする、一緒にご飯を食べるなど)がその役割を果たすこともあるだろう。また、まったく別なきっかけ(その人が好きな花や食べ物の話題が出た瞬間に思い出すかもしれない)もある。これらのどれか一つが欠けても、ある人を意識し続けることはむずかしくなる。

 
 生きている人だけではなく、亡くなった方に対しても、認識維持の各段階をデジタルデータ、特にブログがサポートできるのではないか、あるいは実際そうしているのではないかということを山口さんのエントリーを読んで感じたしだいである。