心に火を

Entrepreneurshipを探る旅のエントリー「心に火をつける」より。

11/16付け日経新聞の交遊抄の中で、久しぶりに、シリコンバレーにいるころに出会った言葉を目にした。「心に付いた火」と題されたエッセイは、日亜化学工業の元常務・小山稔氏によるものだったが、小山氏が、1976年に、西澤潤一教授の講演で「教育とは心に火をつけること」といった言葉を聴いて感動したという話が書かれていた。この言葉の後に、以下のように話が進められていた。



…十九世紀の英国の哲学者ウィリアム・アーサー・ワード氏の「凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火をつける」という言葉だ。

人間は感動し、共鳴することで、さらなる価値を生み出していく。その営みに恩師、弟子の境界はない。

        内容  相互作用
しゃべる    → 情報  伝達(教師から学生へ一方的、詰め込み)
説明する    → 知識  理解(教師→学生の一方向、教わる側で部分的再構成)
示す      → 知恵  教育(学生→教師;逆方向、教わる側が見て考える)
心に火をつける → 感動  共鳴(教師⇔学生;双方向、下をご覧あれ)

自分で自分の心に火をつけることができなければ、相手の心に火をつけることなどできない。まずは、自分の心に火をつけることが第一であり、これができていなければ話にならない。伝えたいもの、それがあって初めて、外に向かって働きかけるようになる。

では、相手の心に火をつけたいというのは、どういう場合かというと、まず、心に火をつけたくなる相手でなければならないのかもしれない。この人のために何かをしてあげようという気持ちが出てこなければ、心に火をつけようという気持ちにはならないだろう。

すなわち、人はみな、心に火をつけてもらえる、そんな機会をもらえるように、日々精進していなければならないということであろう。身も心も冷え切っていて、なかなか萌えない燃えないような状態では、火はつかない。素直に感動できる心があってはじめて「火」を受け入れることができる。

  1. 火を持っており、それを燃え上がらせたいと考えている人。
  2. 火をつけたくなるような、意欲を持つ人。(受け身ではいけない。意欲がでないのは周りのせいで自分ではないと思ってはいけないということだ)
  3. その二人が出会うこと。
  4. どこでもいつでもそのきっかけはある。