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5番目のエントリー:ブログを読み返すことの効用
いざ書こうとすると、考えていたことが思うように書けなかったりしますし、改めて文字にしてみると、書く前に想像していたのとは別の切り口が見えてきたり、といった体験ができます。
さらに、書き残しておけば、後で読み返すことができます。読み返すことは、書いた時の思考をなぞること。例えば、ブログを読み返すことは、過去の自分(=他人)の行動をなぞる行為と言えます。
その時は未解決であったことでも時間がたって他人になった自分なら解決できるかも知れません。少なくとも別のアイデアが浮かぶ可能性は十分にあるでしょう。そして、この「なぞる」行為は、未来に同様な事態に直面した時を想定したシミュレーションをすることになります。つまり、次回の本番のための準備をすることができるわけです。
6番目のエントリー:思考や行動の“跡”をつけておく効用
「これを書いておくと、後々このような役に立つ」という明確な目的意識のもとで書く場合もあるでしょう。でも、それとは別に、理由もなく書き残しておきたい衝動に駆られることもまたあるもの。
例えば、たまたま目にした新聞記事を「何となく気になる」という理由で切り抜くことがあったとしても、とりあえず自分の言葉で1行でもいいのでコメントや感想を添えておくことで、それが“伏線”に変わりえます。
時間と空間には限りがあるので、あらゆる「何となく気になる」を残らず切り抜くことは不可能ですが、可能な限り抜き書きして、自分の言葉でピン止めしておくことで、それがSteve Jobsの言うところの「dot(点)」として、後々の自分の地平線を描くことになるかも知れません。
ブログを続けている理由の1つには、そのような意図もあるような気がしています。
7番目のエントリー:「ブログで自分の思考を視覚化する方法 」
ブログにエントリーされる内容というのは、書き手が経験するさまざまな事象を、書き手の関心というフィルターを通して濾過したもの、といえます。一口にフィルターといっても、一個人の関心は多岐にわたりますから、必然的に多面性を帯びることになります。この多面性、すなわち関心のバラエティがタグということになります。
そんな思考の球体を撫でているとき、ふとした違和感を覚えることがあります。
「なぜ今までそれに気づかなかったのだろうか?」
と不思議に思えるような、どちらかというと明るい兆しです。そしてこの兆しは求めていたものでありつつも、目指して行き着いたものではないことがほとんどです…………。
こうした、偶然なる幸運にめぐり合うための力をセレンディピティと呼びます。
クオリアのパーツであるタグが言葉と言葉を結びつけているわけです。
となると、改めてタグ(クラウド)を眺めることは、いったんエントリー(文章)として構築されたものを要素分解して捉え直すことになるのではないか、と思えます。その結果、新たな切り口が見いだされる、すなわちセレンディピティが発揮されるのです。
自分で書いたエントリーにもかかわらず、そして自分でつけたタグにもかかわらず、時間を経ることで記憶があいまいになり、そこに“他人性”が生じ、過去の自分たち同士がシャッフルされ、
「なぜ今までそれに気づかなかったのだろうか?」
という発見がもたらされうるわけです。