★気づきが生まれる時点とそれを支えるもの

 弱い連結の強み*1がブログから得られるのであれば、エントリーをしないことには連結の起点は生じない(いかに多く書いてもらうかが課題だ。一番最初のエントリーには、各社の工夫が載せられている)。


 そのエントリーを見て、否定的見解や肯定的見解がコメントやトラバされる。すべて読むことは無理かもしれないが、ふとした弾み(ここら辺がむずかしい。serendipityと言えるかもしれないが)である見解に触れた時、「この見解もありかな」と思うことがあるやもしれない。これを気づきというべきか.
 あるいは,その後に気づきは起こるのだろうか。「ありかな」という直感をなぜ持ったのか。多の人の見解と自分の見解との違いはどこらへんにあるのか。など、すこし疑問を深めていくことによって,気づきが生まれるという想定もあり得るだろう。
 どの段階で気づきが生まれるにせよ,少し深く考えてみるというプロセスに入れば、リフレクション(自省)につながりやすくなるはずだ。
 後は、これが起こる条件を考えることが必要となる。あるいはデータを集めるべきか。現在のこれは直感レベルでしかないが、文化的影響があるかもしれないと考えている。「人の見解はどんなものでも検討するに値する」という文化。こんな文化があればリフレクションに自然に導かれていくだろう。『あなたへの社会構成主義』に出ていた「価値を認める問い(appreciative inquiry)」を発する文化がそれに当たるかもしれない。

*1:ここを参照して下さい。弱い連結ではなくて、弱い紐帯とされています