サービスの提供=個別体験

 サービスは、その場で生産され、消費されていく*1。そして、そのサービス体験は、受容する側から言えばあくまで個人的な特別の体験であるということだ。他方、提供側から見れば、その体験は1/nでしかないのだが。

 このズレをいかに調整するかが、サービスマネジメントの要諦のような気がする。大切なことにもかかわらず、提供組織が用意した1/nの標準的体験を受容者の個々の要求、状況、気分に適合させて個別化していくのを、サービス提供担当者の技量だけに委せておいて良いのであろうか。

 確かに、サービスの達人はいる。が、その反対にまったくだめな人もいる。達人に当たった受容者は幸運だが、そうでなければ「はずれ」というのでは、同じお金を負担している側としてはたまったものではない*2

 達人からベストプラクティスを抜き出して、それを他人にまるまる模倣させるのも第一歩としてはまあまあの解決策かもしれない。が、これまた模倣ができる人とできない人が現れる。達人との差は縮まるかもしれないが以前として差が残る。

 サービス提供および受容者の反応察知を向上させるための高頻度の教育訓練、そのための新しい教育内容の連続的開発、サービス現場の連続的かつ深い調査等による体系的なサービス提供担当者の能力向上が求められる*3

*1:確かに、その時間の長さはサービスの種類によって異なる3時間待って3分の診療なら、3分がサービス提供時間−−接触は3時間前に始まっているのだが−−。あるいは、12時間のフライト。大学なら4年間の教育サービス−−でも、実教育時間はいったい何年になるのだろうか?−−

*2:だから、優れた医者を捜すために、患者は血眼になるのだが

*3:しかし、具体的な提言をするまでには至っていない。今後の課題である