生活ポータル

 outlogicのエントリー「サービス・サイエンスの可能性」から触発されて、その内容とはあまり関係ないが、以下のようなことを考えた。

 一つの一つの企業が自らの製品・サービスの範囲を拡張しつつ、

「顧客インターフェースの一部ではなく、インターフェースを1つのシステムとして再設計し、そこに最先端の科学や技術をうまく活用することで、顧客の満足度を飛躍的に高めることができる」

という考え方ではなく、顧客の全生活のインターフェースを構築することで顧客生活そのものをケアできるシステムを作ったらどうか。

 もちろん、自分の生活を特定の企業や企業群に取り仕切られるなんて我慢できないかもしれない。しかし、我々の生活は比較的少数の企業の提供する製品・サービスを購入して成り立っている。
 実体的に提供する企業が少ないこともあれば、我々の限定された合理性のゆえに企業数が減っているということもある。いずれにしても、一つ一つの企業は少ないがあまり多数の製品・サービスを使って我々は生活しているために、関係する企業数は莫大になる。

 それゆえ、我々は自分が選択の自由を持っているような錯覚に陥る。これだけの企業と関係を持っているのだから、選択の自由をこうしてしてこうなったんだと。

 しかし、これらの企業群は、固定的でありそうだし、相対的な変化の割合も小さそうだ(といってもそういう調査をすることはむずかしいかもしれないが)。

 さらに、ある特定の製品・サービスの提供企業を改めて、何らかの原因で、変えようとするときにはかなり困る。最近はネットでの検索で比較的企業の入れ替えは容易になっているとはいえ、産業によってその情報量には差異がありすぎる。

 この間隙を縫って、楽天などのネットモールがその集積によって顧客の生活全体のかなりの部分を満たしているようだ。これにしても、個々のテナントの力量の差がありそうで、総体としての顧客(生活者)の生活全般をサポートできるようにはなっていない(これも実証していない。m(_ _)m )ようだ。

 生活ポータルをいかに組み立てていくか。個々の製品やサービスのイノベーションが重要であるとともに、それらをうまく組み合わせて総合力を出させるような、システムのイノベーションが必要だと考えている。

 そういうポータルができた場合、自分の生活はどのくらいの企業群で構成され、いかに企業の入れ替え(製品・サービスの入れ替えでもある)が少ないかを理解できるだろう。もちろん、それらの価格が適切かどうかも確認できる。

 もちろん消費者としては、企業数は関係なく、いかに適切な価格でものやサービスが購入できているかどうかということである。企業の構成は二次的な情報であろうが、逆に企業にとっては死活問題だ。そのようなポータルが構築できれば新たな流通のイノベーションや消費者認識を変えるイノベーションとなるように思えるが、残念ながら、ただの思いつきなので考察の深みは全くない。m(_ _)m