エクスペリエンス

 ユーザー・エクスペリエンスとパーベイシブ・アプリケーションの世界

「ユーザーエクスペリエンスが悪い」状態とは、多くの人にとって「技術の恩恵を受けられない」状態であり、それが使いこなせる人と使いこなせない人の間の大きなギャップを生み出す。それを「使いこなせない人が悪い」「使いこなせない人を教育しよう」と考えるのは大きな間違いで、結局の所ユーザー・エクスペリエンスを向上して誰でも使える様にするのは作る側の責任である。

しかし、残念なことに今までのような「縦の進化」、「縦割りのもの作り」では、それぞれのデバイスが個別にちゃんと動く様にするだけで精一杯で、横のつながりやトータルで見たユーザー・エクスペリエンスの向上を図る余裕などはないのが現状である(開発費が高すぎる、開発期間が長くなりすぎる)。アップルは例外的に、iTunes+iPod+iTunes Music Storeという組み合わせですばらしいユーザー・エクスペリエンスを提供することに成功したが、他のハードメーカーがなかなか追いつけないのも、経営陣が「ユーザー・エクスペリエンスの重要性」を理解していなかったり、それを向上させるのに十分な開発費や開発期間が与えられなかったりするからである。

 私が「横の進化」―すなわち「今まで特定のデバイスからしかアクセスできなかったアプリケーションやサービスをどんなデバイスからでもアクセス可能にする」こと―を強く推し進めたいのは、このトータルでのユーザー・エクスペリエンスを向上させたいからである。


「縦の進化」と「横の進化」

ムーアの法則」によるハードウェアの進化のもたらすものを、(WindowsやOfficeのように)「より多くの機能を詰め込む」という方向に活用する方向性を「縦の進化」と呼ぶとすると、私の目指している「アプリケーションやサービスをより多くのデバイスを通してユーザーに届ける」という進化の方向性は「横の進化」と呼ぶことができる。

「縦の進化」の目指すところは「より豊富な機能」や「より高度な機能」であり、そこに要求される技術力は、「ハードウェアの能力を極限まで引き出す」力である。

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 それぞれのデバイスが、互換性や横のつながりを全く無視して、独自の進化をし続ける。これも消費者が付いてきてくれているうちは良いのだが、ある時点でそれは「進化のための進化」となってしまい、消費者のニーズを超えて進化し続け、ある時点で増大する開発費をささえ切れなくなる。

 一方、「横の進化」の目指すところは、「今まで特定のデバイスからしかアクセスできなかったアプリケーションやサービスをどんなデバイスからでもアクセス可能にする」ことである。そこに要求される技術力は、「ウェブ・アプリケーションをあらゆるデバイスに届けるためのプラットフォーム」そのものであり、かつ、そのプラットフォームを「できるだけ低コストであらゆるデバイスに移植して行く」力である。それの目指すところは、売り切り型ビジネスからサービスビジネスへの転換である。

 「横の進化」において重視されるべきものは、「それぞれの個々のハードウェアの力を極限までに引き出す」ことではない。重視すべきは、「さまざまなデバイスをネットワークを通じて有機的に結合させ、トータルで見たときのユーザー・エクスペリエンスを向上させる」ことにある。ユーザーが、いつでも、どこでも、どんな環境にいても、そのシーンに最も適したデバイスを通じて、必要とするアプリケーションやサービスにアクセス可能にすること、それが「横の進化」の目指すところである

 こう見るとクリステンセンのイノベーションのジレンマが起こるのは、機能・技術上優位にあるメーカーによる縦の進化への過度の対応の結果であるとともに、機能・技術上劣位にあるメーカーが、ユーザーエクスペリエンスに着目せざるを得なくなった結果だということも言えそうだ。