個人記録の公開が組織内ブログでは好ましい

 いつもたいへん感心して読んでいるENIGMA VARIATIONS.その中のエントリー『ブログは「情報発信」のツールなのか』を読んで,ついつい思いめぐらしてしまったところを勝手気ままに書いてみた。

そもそもブログは情報発信のためのツールだろうか。もちろんその機能は持っている。が、情報発信という機能において「個人のスペース」であることはあまり意味がない。大体、それでは非効率だ。「敷居の低さ」なんてメリットは吹き飛んでしまうぐらい、「組織内の」情報発信ツールとしては非効率である

むしろ、個人のスペースであることを強調するのであれば、ブログは「個人の記録(ログ)」であると割り切った方が良いのではないか。ようするに日記である。公開はされ、読まれることは前提となっているが、他人へのメッセージではない記録。情報発信というのは、他者へのメッセージということだが、個人のスペースがその機能を持つことは、逆に「無責任なメッセージ発信」につながりやすい.

上の引用の段階では情報発信という意味が良く理解できなかったのだが、下の引用で理解できた。

「情報発信」=「他者へのメッセージ」とするなら、「個人の記録」=「自己へのメッセージ」になる。

情報発信→他者への責任→そのメッセージの利用によって損害が生じた場合にメッセージ掲載者が損害への補償をする。
個人記録→自己への責任→そのメッセージの利用によって損害が生じた場合にメッセージ掲載者が損害への補償をする。。

 さて、どこが異なるのか。個人記録が責任が発生するか否かということが問われるのは、利用により損害が生じたと他者が主張し、その補償を要求あるいは主張する場合である。
 その要求や主張に対して、あくまで自己へのメッセージゆえに他者が利用することを前提としておらず、利用は他者の自己責任の範囲に当たる、と反論できるだろう。
 しかし、「公開したんだから責任がある」「利用されたくなければ公開するな」という主張が出てくる可能性はあり、そう捉えられるのであるならばいくら自己メッセージであっても、公開したとたん他者へのメッセージ性が強くなる。

 他者に損害を与える可能性を徹底的につぶすか、与えた場合の補償の準備(ブログ保険なんてありうるのか?!)をするかということになる.これが他者へのメッセージをする場合の不可避の配慮あるいは必須条件となるのであれば、情報発信を避ける人も出てくるはずだ。しかも、利用によって得られた利益の分配には預かれず他者の独り占めだ。何という不均衡なのか。

 こう考えると、すべては「個人記録」であったほうが理に適っているように見える。ご利用は、利用者の自己責任(と計画 (^^) )でというものだ。もちろん、これを匿名のネットで行う場合には、かなりの危険性があることは予想できる(実際に起こっているとは思うがその例を知らないのです)。個人記録に見せかけてはいるが、ログを書いた人の利益になるように他人の考えや行動を誘導するということは大いにありそうだからだ。

 しかし、ここでの議論は組織内ブログである。誘導するような個人記録を書く人もいるかもしれないが、匿名でないためにあからさまな誘導はスクリーニングされるだろう。意図せざる誘導はあるにしても、そこは利用者の情報リテラシーの向上でどうにか対応できるだろう。

 個人記録であれば、ログを書いた本人にとって、他者への責任はない。では、すぐさま無責任と断定できるのだろうか。特筆すべきことは、個人記録は自己への責任は存在するということだ。当然であるが、自らのログを後に再利用して問題が起こっても誰も責めることはできず自らでその責めを負わなければならない。

 さらに、そのログを読み、失敗を見ている他者からの「愚かなやつ」という評価も甘んじて受けなければならない。このログを晒さなければ、失敗はその時だけのこと(もちろん周りで観察できる人からはまたかと思われる。この意味では対面接触は、アナログのログ=人の記憶という機能を持つ)で終わるからだ。個人記録は、自らが再利用される可能性を踏まえて、その内容を精査し整理してから、公開すべきものだと思う。

 個人記録の公表はこのような意味で責任と評価を伴うがゆえに、無責任とは言えない。心して公表しなければならないものなのだ。個人記録だから無責任だという意識は、自己への責任を果たせず、他者からの低い評価でも構わないという意識と同義である。二つの自己責任(自らの記録への自己責任と他者情報の利用への自己責任)を組織内の情報リテラシー教育の根幹に据えれば個人記録の公開で、組織内ブログは十分ではないだろうか。

(確かに、日記のように、書くことで自分のさまざまな気持ちの整理ができたり、日常のほん些細なことを書くことも、個人記録の範囲に入る。組織内ブログでこのような記録を許してもいいだろうが、このような内容であれば、他者に対する責任を議論する意味はない。もちろん、後で利用する意図も少ないのだから自己責任もほとんど存在しない。このような記録は、無責任ではなく、没責任というべきだ。組織内ブログに限ることだが、没責任の記録は不要とすべきか、没責任がゆえに記録がみんなの楽しみ−−面白い記事なのでみんなで喜んで読むような種類のもの−−という点から載せるべき−−組織の雰囲気を良くするので−−かは、個々の組織の判断により一概にいずれがよいとは言えないと今のところであるが思っている)