こうなるとイノベーションの意義はどうなるのか

内田樹の研究室のエントリー『日本心療内科学会にて』より

内田先生にやられてしまった。
些細なことを過剰視して、ブランドと言い換えているということに気づいたら、どうなるのか。


自我が縮小すればするほど、相対的に不変であるブランドは大きく見える。
ブランド好きがブランド信仰に変わる。


ほんのちょっとのこだわりに、いったいいくら払えば気が済むのか。
それは自己の小ささと反比例しているのかもしれない。

「自我の縮小」「自我の純化」は市場が私たちに要求したものである。
買い手の自我の縮小を商品の売り手が要請するのは、自我が小さければ小さいほど、「こだわり」はトリヴィアルなものとなり、消費者の「こだわり」が瑣末化すればするほど、それは商品製造の工程を減らすことに結びつくからである。
例えば、「雨具」というものを商品として提供するとき、「蓑」や「番傘」や「防空頭巾」や「トレンチコート」を提供しなければならない場合と、布の色と模様だけの違う「傘」を揃えればいい場合では「雨具」メーカーの「雨具」製作のコストの間に千里の逕庭がある。
99%の工程が同一で、最後の仕上げの1%だけ工程の違う「ほとんど同じ商品」が「まったく違う商品」として認知されるという消費者サイドの「差異コンシャスネス」の高さは、生産者からすればこれほどありがたいものはない