アナロジーとブリコラージュ
Perspective of idea 立体的な思考のためにのエントリー『左脳的な兄と、右脳的な弟と』
久々に愕然とし、背筋がぞくぞくしている。今日打ってきたインフルエンザの予防接種のせいではない。
上のエントリーを見たからだ。tonosanのエントリーはどれも深みがあり、ちょっと読んだだけではその意図の上っ面しか理解できない(→私だけでしょうが。orz)。
いつか一つひとつしっかり読まねばと思いながらもいつも流し読みでコメントや関連エントリーができていない。
しかし、上のエントリーは違った。読めばすぐ分かるだけではなく、写真がすごい。驚異的だ。
確かに私のコメントへのreplyにtonosanが書かれたように、お子さんがそう思ったのかは分からない。3歳の子に後で聞いてみたとしても、思い出せないか、違うことを言うかもしれない。
でももし、tonosanの言うような思考が起こったとしたら。
★あることをしてみる。
★してみて、本来の達成感を得るとともに、成し遂げたことに何ごとか気づく。
(ここまでは誰でもありそうだが)
★その気づきが、まったく違うことへとつながる。
★さらに満足感。
連想なのだ。好きなことやよくやることが、異分野をまたいでつながる。子供の場合、異分野それぞれの領域は狭いかもしれないが、毎日毎日が異分野を増やしそれをどうにか理解していく。その理解の基盤はまだまだ少数だ。
手持ちの知識は少ない。でも理解をしなければならない。
「あ。これは、あれに似ているなぁ」(アナロジー)
「だから、こうかもしれない」(ブリコラージュ)
「うん。それでいいや」(理解。そう思わないかもしれないが、子供なりに腑に落ちれば理解だ)
まさしくブリコラージュとアナロジーの日々だ。
(自戒)
自分の毎日はこんなに異分野に接触しているだろうか。
何かを毎日成し遂げているだろうか。
その成し遂げたことをほかの何かに結びつけているだろうか。
結びつけたことを実体化(絵に描いたり文章にしたり)しているだろうか。
最後に、理解してくれる(しようとしてくれる)ヒトが周りにいるだろうか。
3歳の子に教えられました(というよりも,tonosanとお子さんに教えられました)。m(_ _)m
日々の仕事への取り組みを猛烈に反省した日になりましたです。はい。
もちろん、それにほのぼのともしました。
(追記)はてなのキーワードでは不十分なので
TFK2のエントリー『ブリコラージュ的知性について』参照してください。