経営学は役に立つかもしれないが・・・

福耳コラムのエントリー「経営学は役に立っているか」のコメント欄を読んだ後でのメモ。


 fukuさんの仰る『技術あるいは文化の革新を起こして成功する中小企業経営者の仕事は、僕のイメージでは「望ましい状態も何もよくわからない状態」に突っ込んで行って学習して、自らそれを事後的に合理化・解釈していくというものだと思うのです』には,ものすごく共感を覚えます.
 
 
 そこで望ましい状態への突入は,いったいどんなきっかけで起こるでしょうか.有望な落とし穴と,無望(無謀)な落とし穴を分類できる規準はなにかということがキーになりそうです.大失敗をもたらす無謀な落とし穴の位置を示す地図が欲しい。それがあれば無用な失敗を避けられる。


 かつて人類はいくどともなく大航海時代を体験している。その時には正確な地図はなかったかもしれない。しかし、かなりの距離を航海できるテクニックを備えていた。そう考えると、技術が未踏の市場を切り開く大きな要素になると考えられる。

  
 しかしただ一つの技術では、大西洋や太平洋の大海原をそれも長い長い距離を航海できないだろう。船を造る技術、操るノウハウ、位置を決めるスキル、そしてその向こうに楽園があると信じる確信(有望)と何にもかかるかもしれない船旅を乗り出す無謀さが組み合わさっているはずだ。


 もちろん、大航海時代大きな物語は大成功と言えるかもしれないが、個々の船旅の物語は悲惨すぎるものも多いはずだ。経営学大きな物語を描いて見せ、人々に夢や希望を与えるかもしれないが、個々の船旅の役に立つことは少ない。なぜなら経営学者は会社を設立したこともないだろうし、経営したこともないし、ミッションを従業員に提示したこともない(こういう経験のある人も最近増えてきたかもしれないが)から。


 大きな夢がない時冒険はできない。大きな夢があってもその冒険の個々の場面で問題を解決するだけのスキルがないと前へ進めない。ここから類推すると、経営学者は夢を語る語り部であり人々を誘い出す呪術師となるが、個々の技術やスキルそして船を沖へ漕ぎ出させる勇気を与えるのがコンサルタントの役割でありそうだ。しかし、その先の悲劇をどのようにして回避するのかは漕ぎ手しかできない難事であるが。ただし、その難事を乗り越えてきた人の個々の物語を聞いて、それを書き留め、その一部かもしれないが知識化することが必要であるのは間違いない。後に続く人のために。ケーススタディの意義はここにあるだろう。


 悲しいことに、これから旅立つ漕ぎ手に対して、必ずうまく楽園にたどり着けるという方法を提示することはこのアナロジーからも見つからない。どうすればいいのか。また考えてみたい。