ブランド力とは

内田樹さんのエントリー「大学のブランド力とは」より

所属階層を直接的に指示する商品にはブランド力がないのである。

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「ブランド力」というのは一見しただけではよくわからないけれど、よく目を凝らすとわかるものについてのみ言われるのである。
「ほんとうにいいもの」というのは近づいて、触れてみて、身につけて、なじんで、はじめて作り手の気配りやこだわりがわかる。
不注意な人の目には見えず、それゆえその「良さ」に気づいた人が「自分にはその価値がわかるだけの鑑定眼がある」ことをひそかに誇りに思えること、実はそれこそがブランド力の条件なのである。


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ここからおわかりのように、ブランド力とは「ブランド力が何かを知っていると想定された主体」に対して、「ブランド力って何だかよくわかんないけど、そういうものがどうやらこの世にはあるらしいと思っている主体」の間の「情報格差」として存在する。
というか、「格差の感覚」としてしか存在しないのである。


本当にいいもの ← 理解した人
              ↑↓  情報格差→ブランド力(理解した人が理解できない人に持つ)
          ←理解できない人

          


大学のブランド力は、大学人が「ブランド力とは何かを知っていると想定されている主体」であり、学生たちが「大学のブランド力って何だかよくわかんないけど、そういうものがどうやらこの世にはあるらしいと思っている」という非対称的関係である場合にのみ存立する。
だから、「アピーリングなブランド」というようなものは端から形容矛盾なのである。
「この大学のブランド力って何ですか?」と問う学生に対して、「ふふふ、それはキミが自分で探し出すものだよ。さて、キミにそれを見つけるだけの眼力があるかな?」と言い残してすたすた立ち去ってしまう大学こそがブランド力のある大学(だと誤解される大学)なのである。

 ブランド力を問う学生→理解できない人
 大学人       →理解できる人    という構図→これはよし


 しかし、最後の段になって大学が理解できる人になっている。とすると、通常のブランド力も、製品やサービスを提供する企業が、自社のブランド力を誇り、それを理解できない新規顧客をあざ笑うという構図になってしまい、最初の引用の構図とずれる(それとも当初の構図の理解できる人の中には、企業も含まれているのだろうか?)。



 当初の構図に製品サービス提供組織が含まれていない場合。
 →大学のブランド力を理解する人は、在学生、卒業生および大学と関係を持った人々や組織であるはずだ。
 
 →大学自身がブランドを誇っても手前味噌になるだけだ。