ストーリーテリング

《参考》
動線コンセプトノート「よい物語はよい贈り物に似ている

ストーリーテリングが経営を変える―組織変革の新しい鍵

p96
 科学の世界では、論文がnature誌に発表されるその日の朝まで内密にしておくことが当然だ。発表されてから、驚く同僚たちを前に高らかにそして堰を切るがごとく内容を示してみせるのだ。
 建築家のスタジオではまったく逆だ。一緒に働いている建築家同士の間で文脈が作り出されていくのだ。彼らは、相互にストーリーテリングを行い、常に肩越しに観察しあって、相互の作品の考え方に近づき、助けあい、どう互いを批評するかを学んでいく。
 そして、師匠格の建築家が入ってきて何かについてコメントをすると、学習作業があちこちで起こる。今話されたことについて誰もが議論し、誰かが議論しているのを傍らで立ち聞きするのである。それによって、そのデザインがどのような経過で生まれたかについての物語を知り、行われたコメントを理解する文脈を共有する。…………。立ち聞きから学ぶことは大きく、互いに他の人の仕事の周辺でつながり、接点を持つのである。これが徒弟制度により学習が生じる実際の過程であり、「学習の風景」を設定するよい模範となる。

p97-98
 …………、新しい技術をどう広めるかに大いに関係があることだ。誰も思ってみないことだろうが、新型のコピー機の順番待ち行列を例に考えてみよう。実は、この行列こそがサポートの仕組みとなっているのだ。コピー機の使い方を知っている人が、行列の中でまだ知らない人に対して指導役となるのである。行列に並ぶことは新たな機器の操作法について学ぶことを可能にし、学んだことを他の人に伝えることを可能とする。
 したがって、行列は概念上は強力な学習機構に相当することとなる。このことは、新型機器をネットワーク上二億という発想にはちょっとした衝撃である。…………。行列はなくなるかもしれないが、同時に使い方を教えてくれる人もいなくなるということになる。

p98
 今ひとつ、ワシントンDCの地下鉄システムをみてみよう。このシステムスタート時に、この地域で初めて、電子情報を書き込んだチケットを発行する機械が導入された。問題は、利用者にチケットを買う問うことをどのように教えるかである。いかにうまくシステムを設計しても、人々が掲示を呼んでそのことを理解するとは思えなかった。
 そこでどういうことが行われたのだろうか?

 結論は、本を読みあれ。


p154-155
 聴衆の一人ひとりには、2人の聴き手が存在している。聴衆に目を向けると、目の前に物理的な人がいる。だが、そこには「頭の中の小さな声」としての第2の聴き手が存在しているのだ。…………。
 この内的発話(我々が我々自身と行うこの絶え間のない談話)の現象について、ほとんど書かれてこなかったことは驚くべきことだ。ジョージ・スタイナーは、この声にならない独り言は、外的コミュニケーションのために使われる言語の使用量よりもはるかに上回っているにもかかわらず、言語学詩学、認識論において、大部分が未知の領域として残されていると指摘している。
 だが、この声は止まることを知らない。…………。私が話していることにはこの小さな声は耳を貸さずに、私の話に向いていた聴き手の注意を反らしてしまうだろう。
 旧来のコミュニケーションに対する見方では、この頭の中の小さな声はあっさりと無視されている。旧来のアプローチでは、小さな声が静かにしていること、そして私のメッセージがどうにかして伝わるものだという見込みの上に成り立っている。残念ながら、この頭の中の小さな声は静かにしていることはない。頭の中の小さな声は忙しく動いている。話し手が何を話しにしているかについて、話し手が知る以前、あるいは推測する以前の段階で、聴き手の方ではまったく新しいものの見方、そして多くの場合話し手にとって歓迎されないものの見方を得てしまっているのである。
 それだけに、私はちょっと違う方法をお勧めしたい。それはつまり、頭の中の小さな声を無視しないこと、である。そうではなくて、小さな声に協働すること、連動することだ。頭の中の小さな声と連動することで、彼らに仕事を与えるということを意味する。あなたが物語を語ることで、ある意味では、頭の中の小さな声から第2の物語を引き出すのである。


スタイナーの本
Grammars of Creation