観察するか、参加してもらうか。

消費者の経験を観察するのと、消費者が製品開発プロセスにはいるのではどのような違いがあるのだろうか。

例えば、papativa.jpのエントリー「ブランディング360°思考」の中で、

ブランディング360度思考の一文を取り上げている。

「リーチ(延べ人数)やフリクエンシー(ヒット数)、原稿サイズやレスポンス率を忘れて、ブランドが消費者の暮らしのどんな場面、行動、態度に、どんな風に寄り添えるのかについて考え」(P.179)てみることだと提唱している。

 コレはブランドの議論であるが、ブランドが生活の一部としてどのような位置を占めるかを考えながら製品やサービスのあり方や位置を探る。顧客はあくまでも観察される側だ。corporate ethnographerの目による、顧客の経験の観察と厚い記述、そして理解(解釈か?)。それをもとに、新製品やサービスを開発する。「あなた達が欲しかったものとは実はコレでしょう」と言いながら(言わないかもしれないが)提供する。


他方、Christine Spivey OverbyのConsumer-Focused Innovationのexecutive summary では(これはシリアルイノベーションのエントリー「consumer-focused innovation」で知りました)

consumer-focused innovation -- in which consumers play an active role in process redesign, product development strategies, and new channel development.

 顧客が製品開発に参加する。自らの経験やそこに内在するさまざまな課題を開発者とともに考える。顧客と製品開発担当者の交流により、互いに見えなかったものが見えるようになり、経験の本質を探りだ去るようになるというのがこの新しいイノベーションの本質だろう。「そうそう。あなたが欲しかったものはこれなんですよね」と確認しあいながら、製品・サービスを作り上げる。

 二つのイノベーションは、それぞれ、最終消費財対企業向けの財、あるいは大衆向けの製品対専門的な製品などという区分けをすれば対応するのだろうか。

 今少し考えてみたい。