裏切り型摺り合わせ

福耳コラムのエントリー『文化財と文明の利器』より

 現在のファッション企業は、製品技術的に摺り合わせ型ものづくりをやるために必要な技術力を潜在的に保持していると自分は考える。しかし、せっかくそれをわざわざやろうとしても、そうやって向上させた商品価値が顧客になかなか伝わらない、評価されないのである。これはファッション商品が文化財であって文明の利器ではないところから来るものである。

・・・自動車は、文明の利器である。速さとか制動性とか燃費とか、そういう評価基準はすでに潜在顧客とメーカーの間で共有されている。ファッション商品の場合はされていない。だからメーカーはまず消費者候補となる人々を教育して、自分たちのものづくりの価値観に同調する顧客を作らなければならない。

文明の利器→評価基準が顧客(潜在的な顧客を含めて)とメーカーで共有されている
文化財→それが共有されていない


 ふむ。ファッション商品、たとえばアパレルなのは、まず最低限の評価基準は共有されているのではないか。たとえば、冬服なら暖かそうとか。夏物なら涼しげだとか。


 あ、これは速さとか燃費とかという数値で制御されていない規準だ。とすると、文化財は数値適評か規準が共有されていないということか。確かに、速さとか燃費とかは数値で表されているし、それを顧客も知ってはいる。その意味では共有されている。

とすると、
 文明の利器→数値的評価基準が顧客(潜在的な顧客を含めて)とメーカーで共有されている
 文化財→非数値的評価規準は共有されているが、数値的評価基準は共有されていない


となる。いやまて。二つを分ける規準は、数値化されているか規準があるかどうかというよりも、共有された規準の持続性だと思えてきたぞ。


 車の場合には、いつもの規準があるがそれがかなりの時間持続される。というのも保有期間が数年間続くからだ。セダンからコンパクトカーやミニバンに変わっていくのも四半期ごとではなさそうだ(調べなければならないが)。反対に、ファッション商品の寿命は短い。アパレルなどは四半期ごとに変わらざるを得ない。そういう状況であるなら、顧客も規準を共有する時間もなく、その商品を消費してしまうことになる。


いかん。これだと。
 文化財が、短期間消費型財となってしまう。これまた直感だが、文明の利器よりも文化財の方が長命のような気がする。


 しかし、アパレルなどのファッション産業にも、持続的な規準(数値では表されないかもしれないが)がある。それはブランドだ。ブランドは信奉者とメーカーとの間には強い絆があり、かなりの持続性がありそうだ。その意味では規準が共有されている。もちろん、四半期ごとの新製品発表によって、当該ブランド購入者グループの境界では、出入りが起こりそうだが。


ブランドが加われば、文明の利器よりも文化財の方が長命になりそうだ。個々の商品は短命だが、その商品を貫徹するブランドは長命。


 とすると、
  文明の利器→数値的規準が共有され、その商品の生存期間が数年続くもの
  文化財  →非数値的規準を持ち、商品的には短命だが、ブランドが確立されていればブランドは長命

 
 ふむ。なかなか。いいかも。



 ところでブランを信奉する核となる人々と企業の間には規準を支え合う相互作用があるかもしれない。それを摺り合わせと呼べるだろうか?


 これはただの直感でしかすぎないが、ファッション商品のデザイナーは顧客との規準の共有を裏切ろうとしているのではないか。摺り合わせではなく、裏切り。裏切ることによって、顧客は驚く。驚いて楽しむ。楽しんで喜ぶ。そんな連鎖が起こることをデザイナーは考えているように見える。


 今春は顧客の期待をどう裏切ろうか。評論家たちをどう出し抜こうか。そんなことを考えているが、実はこれも摺り合わせのひとつのバージョンかもしれない。摺り合わせて顧客の期待を取り込むのではなく、摺り合わせて顧客を裏切る。そんな摺り合わせはないのだろうか。

文明の利器は顧客の期待を取り込むための摺り合わせ
ファッション商品は、顧客の期待を裏切るための摺り合わせ 


なんちゃって。全然結論のない雑感でした。m(_ _)m