無用の用.用の無用


DESIGN IT! w/LOVEのエントリー『未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)

未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと

と、そんな意味で、本当に未来を考えるなら、いまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないことって重要だなと思うわけです。現時点での浅薄な自身の知識や情報をベースにして、無用だとか無意味だとかを判断して、何を学ぶか、何をやるかを極端に絞り込んでしまうのって、理知的に見えて、逆に危ういわけです。


他人のブログを読んだり、今まで読んだことのない人の本や読んだことのないジャンル、内容の本を読むことは、そういう自分勝手な要/不要の判断を無効化してくれる意味ですごく役に立つことだと思います。・・・・


どんなに客観的に判断したつもりでも、元になる判断基準がきわめて私的なものにならざるをえないわけですから、それでいまは無用だとか無意味だとか決め付けて、自分の守備範囲以外のものに手を出さない姿勢をどうかと思うわけです。


DESIGN IT! w/LOVEのエントリー『色即是空。諸行無常。便利なハウツーもいつ塵となって消え行くかわからない

スタートアップという環境に身を置くと、そこにはほとんど確証のある答え=ハウツーなんてないのは、ごく日常的に感じることなんですよね。
とにかく社内でははじめたばかりでノウハウなんてあるわけないし、かといって外部を探してみても、自分たちとは状況が違う場合の先行例はあってもそれはそのまま使えるわけはない。結局、参考になるものはあっても、そのままずばりの答えなんてないわけです。

結局、このブランドをデザインするって思考、行動そのものが、ハウツーに頼らないオリジナルの考え方自体をデザインしてくれるプロセスになり、それがブランドを育て上げる原動力にもなっていきます。その過程が「今見えるところから」の脱却を可能にしてくれるわけで、それ以外のどこかに「今見えるところ」以外の何か別の場所があるということを事前に想定すること自体が間違った前提です。ようするに答えが先にあるわけではなく、答えは思考と行動のプロセスの中で生み出されるものだということを誤解してはいけないんだと思います。


Say::So? のエントリー『中高生を見ていて

塾講師をしている関係で中高生を見ることが多いのだけれど、・・・

私が見る限り、中高生は「興味の向くこと」にはずいぶんと一生懸命になる。そういう傾向が強い。「やりたいこと」「好きなこと」に対しては熱い。夢を語るのも得意。それに直接的につながるものに対しては非常に熱心。

一方で「やりたくないもの」「つまらないもの」「苦手なもの」「面倒なもの」を非常に嫌がる。直接的にやりたいことに対してつながらないもの、もしくは本人がつながるとわからないものに対しては熱意がない。むしろやりたがらない。

そういう傾向が強い。


要するに即物的だな、という印象だ。

想像力がない。これが何につながるか、がわからなければやらない。これが何につながるか、思いもよらないものにつながるのではないか、という考え方をしない。これは○○につながりますよ、といわれて納得したらやる。わからなかったらやらない。つながるかどうか、は考えない。わからなかったらそれ以上は考えない。非常にシンプルな0か1という考え方だ。

Say::So? のエントリー『ルール無視とかなんとかというかキャパシティを増やそうとしない学生にも問題がある

生徒がそういう要望を出したとしてもつっぱねるという姿勢がない学校側にも問題はある。が。なぜ「受験勉強以外は無駄だ」→「だからやらない」になるのか。その思考回路に問題はないのか。

「受験に関係なくても意味がある、社会に出てから役に立つ」というのでもいいけど、そうすると、社会に出てから役に立たないことはやらなくていいのか、ってことになるんじゃないのかなぁ。意味がないことをやって何が悪いんだろうか。そもそも意味があるって何さ?