創発

 上のリンク先を見ていたら、富士通総研のサイトに以前メモ書きとして残しておいた、レポート『ブログ・SNSの創発的特性と組織へのインパクト 』(PDF)を再発見した。そのなかで創発ということが論じられている。


1.下位システムの挙動によって、上位システムに変化が生じること
2.下位システム、下位システムを包含する上位システム、さらに上位のシステムや、無関連の第三者システムにとっても、そのぞれぞれの予測、意図を超える変化が生み出されること


 が、創発の基本的な定義のような気がする。しかし、創発にはもう一つ規範的な定義が紛れ込んでいる。

 構造、創造、機能という単語であり、これによって、創発はよきもの、望ましいものとして捉えられることになる。しかし、下位システムの挙動が他のシステムに影響を与えるとしても、どの立場から見るにしても、一概には望ましいものとは言えないだろう。それはかなり創発される事象の中でも限定されたものに成らざるを得ない。


 上記レポートでは、創発とは、「個の行動によって全体の秩序が規定され、さらにそれ個の行動にフィードバックされること」とされる。
 この場合、

1.個の行動が全体の秩序を生むこと。
2.全体の秩序が個の行動に影響を及ぼすこと
3.秩序から個への影響が個の行動にとってよきものであること(上の定義にはないが、例として上げたアリのすでは、これが含意されている)


 確かに、マネジメントの観点からすると、まず全体および個の活動によい秩序とは何かを探り、その秩序を産む個の行動を規定し、その行動を起こさせるように、疑似自律性あるいはトップダウン的自律性を与えるということが望ましい。しかし、これを創発とよんでいいのだろうか(レポートの中にあるMajchrzakらは、「マネージャーは創発的なプロセスをあたかも事前に予想されていたルーティンのようにすることもできる」と述べているが、こうなれば上位システムが望む秩序を生むように個人は行動せざるをえないというようにも読めるが、原典に当たる必要があるなぁ)。


 もう少し自律的に考えるとするなら、

●全体の秩序ができあがるのを待ち、その秩序が個の行動の機能を上昇させるのを確認して、元の行動を容認するか(秩序形成の失敗、個別行動への全体から悪影響というリスクを甘受しなければならないが)


 あるいは


●個の行動→秩序→個の行動を、他者との競争の中で生き延びることが可能になるかどうか、自由放任にし、生き延びた創発システムを支援するということがあるだろう(個別企業レベルでは無理だが産業政策レベルでは可能か?)。



 第三者の目からすれば、最終的に構造ができその行動が個別行動によい影響を与えたものを取り上げ、元々の行動を抽象化し、他の個別行動に応用すると言うことになるだろうが、個別行動が秩序形成できる条件をすべて発見し、秩序から個別行動に影響が及ぶ際の条件をすべて確認できれば可能となるが、そううまくいくとは思えない。


 もしうまくいくとしても、このやり方は、上のMajchrzakらが述べたようにトップダウン的なものであり、創発とは相容れないのではないかと思う。


 (感想)やはり自由は上から与えられた枠組みの中でしか、許容されないものなのだろうか