本当の経験とは?

Design it!のエントリーライフスタイルの提案力をなくしたデザインより

エクスペリエンスだとか経験だとかいいますが、それもほとんどマーケティングのお題目で、そのきめ細かなエクスペリエンスなり経験なりが僕には決して生活を豊かにしてくれたり楽しませてくれたりするようなものには思えません。

 お題目の経験でも楽しさを実現することはできるが、確かに「豊かさ」を達成できるかという点では疑問が湧く。
が、ここで分からないのが「豊かさ」ということはどういう基準によって計られるかということだ。もちろん、「楽しい」ということの基準も不確かであるが、直感的には感じ取れる。が、自分が豊かであると感じるのはどういう瞬間であるのだろうか。

 下のように、今までと異なる生活スタイルが提案され、そのスタイルを感じ取る、体験することが豊かさをもたらすのであれば、今までの生き方が、部分的にであれ全面的であれ、補完される、あるいは否定されなければならない。

 「ものが不足して困っている生活」から→「大量諸費・使い捨ての生活スタイル」へ
  「使い捨て生活スタイル」から→「リサイクル、リユースの生活スタイル」へ

 と変わることだとすれば、豊かさとは現在を否定することだけでしか生まれないのだろうか。逆に言えば、現在は絶えず貧しいものでしかなくなる。
しかし、豊かになろうとする生活スタイルも、あるいは絶えず変わっていかねばならないとする生活スタイルも否定されれば、豊かさという基準の存在価値も相対化されてしまう。

 そんなことを考えていたら、訳が分からなくなってのとりあえずこの件についてはペンディングにしておこう。 

デザインがもう一度生活スタイルの提案力をもつにはいったいどうしたらいいんでしょうね。


人がモノを使うことによって、さらに何かが起こる
ここで再び『近代デザイン史』のなかの橋本優子さんの引用に戻りましょう。


デザイン・プロダクトは、冒頭に記した流れ

  1. 人が何かを実現するために
  2. モノを作る
  3. 人がモノを使うことによって、さらに何かが起こる

を踏まえて生み出されるアート(芸術)とテクノロジー(技術)の所産である。

橋本優子「第6章 プロダクトデザイン」
柏木博編・著『近代デザイン史』


「人がモノを使うことによって、さらに何かが起こる」ことをいまのデザイン・プロダクトは踏まえているのでしょうか?

  • 何かを実現するために→機能(事前に想定された経験)
  • 機能を考えて→モノを作る
  • ものを使う→何かが実際に実現される+それ以外のコト(事象、想定されなかった経験)が出現する
  • その事象が、当初の目的を越えた何か(機能、満足、感銘等々)を作り出す。


★デザインはそもそもそのために存在していたような気がする(素人の発想だが)。

例)デザイン的に優れた椅子
何かを実現する→1.機能的:座りやすい、頑丈
        →2.美的 :他の家具との調和、見て楽しむ

 それを使うことによって、何かが起こる→子や孫に受け継がれることで家族の歴史的なつながりを意識できる。
  (そのために、機能的に頑丈でなければならない)


近代デザイン史