顧客から学ぶのではなく、顧客が何をしているのかを知る。

 これは、IDEOの人類学者に相当するのかもしれないが、「顧客から学ぶ」のではなく、「顧客がしていることを知る」ことが必要になりそうだと感じている。考えているのではなく、感じるだけで何も証拠はない。

 顧客から学ぶというスタンスからすると、たとえば、自動車のメーカーなら顧客の自動車の経験をできるだけ顧客から聞き取るべきだということになるだろう。自動車を何のために買い、日頃どのように使い、そしてどのような気持ちや感情を車に寄せるのかと。車の存在を前提にして聞き取る。顧客もその存在があまりに当たり前だと、その前提を問題なく受容し、メーカーの人の質問に答えていく。そして新しい車が作られる。

 顧客が何をしているかを知るというスタンス 
 生活者(いい言葉がないなぁ)からすると、車は自分の生活の一部でしかない。エコ最優先なら、環境に悪いから、マイカーは不要と応えるかもしれない。しかし、メーカーの人はそれを聞き取り、マイカーの生産を止め、バスや電車の製造を行うということにはならないだろう。作る側はこんな場合どうすればいいのか?(環境に優しい車を作るか?燃料電池車に切り替えて、町中に水を撒きながら走るのか?水素製造には結構問題があるのですね。化石燃料を使い、電力で反応を起こして、水素を作る場合、CO2の全体的な削減にはなるが、燃料電池車がまったく環境に負荷を与えないというわけではないのですね。これとかこれを参考に。)


 また、日頃買い物には小さめの車に乗っているが、遠出や少し高級な店に行く時には、より大きくて乗り心地のいい車に乗りたい。決して車がメインではなく、旅行や少しおしゃれをして出かける時の手段としての車で、そのとき車は(重要だが)脇役になる。
 そんな要求に、メーカーはどう応えるのか。顧客が二台目の高級車を買うのを待つか。車を使い分けることが流行だとかいう広告を打つかもしれない。でも、それに応えられる生活者の数は限られている(まあ、限られていても、高級車が売れるならそれはそれでよいかもしれないが)。

 買えない人は安い車で我慢するか(我が家のようだ。○| ̄|_)。高級車を使って買い物をするかだ。100円も安いとか言って高級車でスーパーに行くようなものだ。こんな状況にメーカーはどのように応えればいいのか。おしゃれなひとときのために、高級車をレンタルしようというキャンペーンをして、系列のレンタカー会社の儲けにつながるように行為をするのか。

 
 われわれの周りは作る側も使う側も、製品・サービスの存在を当然視してしまっている。だから、不便なことがあると使う側は作る側に、要求する。もっと便利に、もっと安く、もっと多機能にと。そしてそれに作る側は応える。このようにして消費者は受け身となり、生産者は受け身の消費者に次々と製品・サービスを提供する。これが現代の工業社会の実態で、それは情報化社会になっても本質的には変わらないようだ(so what?と言われそうだが)。


《追記》
 上記の考え方は、トフラーが述べたプロシュマー(このサイトの第6回に、説明があります。動画もあり。2001年の制作なんですねぇ。やっと私も21世紀にまで至りました。今までは20世紀にいたのかもしれない。_| ̄|○ )と似ているようだ。トフラーを再読するか。
 なお、ここに出ているビデオは興味深い。特にgreat books seminarは面白そうだ


トフラーの著作
第三の波
未来の衝撃
パワーシフト―21世紀へと変容する知識と富と暴力〈上〉
未来適応企業