サービスの議論で欠落しがちな側面

1)heuristic waysのエントリー『仕事の「目的意識」

ところで、渋谷望氏は、『魂の労働』の中で、「フライト・アテンダントの労働」に関するホックシールドの分析―「感情労働」(emotinal labor)―を紹介している。

ホックシールドは、フライト・アテンダントの労働を取り上げながら、労働市場に進出した女性が、職場において発揮するよう求められる自己の感情の管理を「感情労働」と呼んでいる。ホックシールドは日常生活全般における感情の自己管理――「感情作業」――と区別すべきものとして、感情管理の商業的利用を感情労働と名づける。ホックシールドによれば、搭乗員は肉体労働や精神労働もこなす一方、同時にそれらとは区別されうる感情労働にも従事しているのである。

若者が音楽に熱中するのは、そこに自分の感情の発見があり、感情の解放があるからだろう。だが、「感情労働」において、人は自己の「感情管理の商業的利用」を求められる。美咲洋子が理解できないのは、自己のサービス(感情管理)が一つの「商品」だということであり、商業的に利用されるものだということである。三神たまきはサービスの「使用価値」―顧客の安全や満足を「目的」とすること―を教えるのだが、それが商業的に利用されるものだということ、資本に従属する感情労働だということには口を閉ざしている。

渋谷望氏は、「顧客による経営管理」が今や経営のテクノロジーと化している事態を指摘している。

フラーとスミスが適切にも「顧客による経営管理」と特徴づけるこのテクノロジーは、あらゆる産業セクターで使用されつつある。それは「押しつけがましい管理や官僚主義的コントロール」を弱めながらも従業員を管理するために「消費者からのフィードバック」を用いる。(中略)こうしてそれは労働者の「経営参加」を要請し、労働者が自らの感情に働きかけて「自発性」を引き出すよう促すのである。

だが、同時にこの「自発性」を、一面的に捉えてはならないと私は思う。経営(資本による利潤追求)を至高目的とする限りで、感情労働や顧客サービスの「自発性」は強いられたものと言えるが、「同僚の連帯」や「顧客の満足」―そして職場の存続を可能にするための「利潤の追求」―を仕事の「目的」とすることそれ自体は、「労働者の自主管理」に近いものだと私は思う。

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論
渋谷 望
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感情労働について→ググレば山のように結果が出てきます.その発端となった本としては,

管理される心―感情が商品になるとき
A.R. ホックシールド Arlie R. Hochschild 石川 准 室伏 亜希
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2)heuristic waysのエントリー『スチュアート・タノック『使い捨てられる若者たち』』より

この本は私たちの職場で何が起きているか、私たちがそこで何を経験しているかを観察し、調査し、聞き取り、書き留め、分析し、理論化した素敵な本だ。「私たち」とは、主に飲食業や販売業などのサービス労働、一時的で不安定ないわゆる「腰かけ仕事」をしている若者や労働者の総称である。20代の頃から現在に至るまで、喫茶店電器店・飲食店・コンビニ等で働いてきた私には、この本で取材・インタビューされている若者や労働者たちがまるで自分の同僚のように身近に感じられる。彼らのことが体験的によくわかる。

たとえば、こんな声。

人がひっきりなしにやってきて、何ごとも終わらないし、はじまらない、いつもサービスを提供している、しかも同じサービスを何度も何度も。

客が本当に意地悪だったり、意地悪な感じで話したりしてきたら、こっちも意地悪な感じで話し、嫌味ったらしくなります。おたがいさまですよ。客から見下される筋合いはありません。要するに客は、私たちがファストフード店の従業員という理由だけでつまらない人間、つまらない人生を送っていると決めつけます。

この商品がこの時刻にこれだけ必要だ、と書いてある、くだらない表があるんですが、それがたいてい、かなり的外れなんです。つまり私たちのほうがわかっているのです。週に五日も働いていますから。何が必要か、こんな日にはどういう感じか、私たちはわかっています。ある日は忙しいし、別の日にはお客さんがぜんぜん来ないので驚くこともあるでしょう。ファストフード店では先のことは決してわからないのです。

仕事なんてくだらないし、つまらない、単調な繰り返しだ。そう思う一方で、必要最低限のことはきちんとやるし、今やるべきことは全力を尽くして成し遂げようとする、仲間を手伝ったり冗談を言い合ったりして職場の雰囲気を良くしたいとも思う。適当に手を抜くこともあるし、お互いの悪口を陰で言うこともある。でも嫌な客や経営者の一方的な命令には一致団結して抵抗しようとするし、「ここは自分たちの店なのだ」という誇りや責任感もある。長く続けるつもりはないし、いつ辞めるかはわからないけれど、職場と同僚には愛着と信頼を感じている。

著者はそういう私たちの経験、私たちの世界に光を当て、私たちの声に耳を傾け、私たちの苦悩や馬鹿さ加減をよく理解し、誠実に向き合ってくれている。