マクロの意味とミクロの意味

山形浩生の「経済のトリセツ」のエントリー「経済成長の意味」より

Σ(個人の成長、ちょっとした創意工夫、協調)Σ(個人の成長、ちょっとした創意工夫の成長)=経済成長

 経済成長だけではなく、個人の成長や創意工夫という具体的なミクロの現象を、個性の尊重、知識創造、ニーズ充足、イノベーションなどという抽象的、マクロな言葉に置き換えている。そして、その言葉を自分では使いこなしているような気でいるが、実はその言葉に踊らされている。自省せねば。

人はGDPとか経済成長とかいうことばだけ覚えて、なんかわかったつもりでいるけれど、それを実感として理解している人はおどろくほど少ない。でも、それは抽象的な数字なんかじゃない。明日はもう少し能率よく仕事を片付けて、あまった時間で新しい何かをやろうと思う。いまは捨てているこのピーマンのへたを、新しい料理に使ってみようと思う。そうした各種の無数の努力が積み重なっていく様子を想像してみなきゃいけない。GDP成長が 1%とか 2% とかきいたときに、その背後にある多くの人々の努力と知恵を思い浮かべなきゃいけない。(上の)グラフの背後にある無数の個人の力をありありとイメージできなきゃいけない。

一部の人は、経済成長というと何か無理強いされたもののように感じるようだ。・・・・でも、そうじゃないのだ。去年の自分と今年の自分を比べて、少しは成長したと思わないだろうか。多少は仕事がうまくなった、多少は手際がよくなった、多少は知恵がついた、多少はいろんな面で腕をあげたと思わないだろうか。それは必ずしも無理強いされたものじゃないはずだ。かなりの部分は自分から喜んで向上させた技能のはずだし、それが実現できたときは本当にうれしかったはずだ

経済成長を願うのは、人の成長能力を信じ、そしてその潜在力を思い切り発揮してくれることを願う、信頼と希望の表明でもある。

もう少し考えたいが,個人の成長が経済的成果を減少させる方向に一致するのか,成長させる方に一致するのか.その条件を考えてみる必要がありそうだ.


 上図の個々の細い矢印が個人の成長を表す。それらが集合したものが太い矢印。
三種類の経済の状態が出現すると考えられる。