考え方を変えよ

梅田望夫さんのエントリー『ショックと感銘に襲われた韓国少年とのやり取り』より

韓国の少年の話にも驚いたが、この文章には衝撃を受けた。

我々の世代なら「精度が悪くて使い物にならない」と一顧だにしない「翻訳ソフト」の存在とその進化を前提に、ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、若い世代は自然に身につけていくのだろうか

 ソフトが人に近づくことばかりを考えてこれまでソフトの不出来を責めていたが、人がソフトを意識して文章を書けば、言語の壁を易々とは行かないが、結構うまく超えられるようになるかもしれない。自分が変わる必要があったのだ。ソフトが進化すればソフトに人が合わせる度合いは減るかもしれないが、そうでないなら自分の方も少しだけソフトに歩み寄ればよかったのだ。そうすれば国境を少しだけ越えられる。

 ブログも含めてすべてのネット公開文書は、本文は母国語を理解する人に向けた文章でよいが、要約は少し堅いが文法的に忠実に書き込み、翻訳ソフトにかければどの国の言葉にしてもかなりの部分まで意味が通るようなものというようにすればよい。そうすれば世界の人が誰でもかなりのところまで均等に情報に接近できる(ただし、要約レベルまでだが)ようになる。

 もちろん、要約を英語で書ける人は書けばいいのだが、できない人は文法的に忠実な文を書くだけでよい。文法適正度解析ソフトなんてできればもっとよいのだが。