成功体験のわな

経営者倶楽部のエントリー『ソニーと任天堂を隔てるもの』より

ソニーの論理

つまり次の論理が機能していた訳だ。

「ゲーム機の売り上げを伸ばしたい」→「そのためには、性能で他を圧しなければならない」→「高性能のチップを開発する」

人の行動は、全て脳という情報処理システムのアウトプットに支配されている。行動の差はこの脳というシステムが生み出すのである。脳に関する研究で著名な池谷裕二氏の主張によれば、人の脳には、確実なリターンが望める安全な選択をする際に活動する部位(眼窩前頭皮質)と、あえて今までと違う冒険的な選択を行う際に活動する部位(前頭極皮質)があり、両者の活動によって常に矛盾する行動を促しているのだという。そして、人がこのどちらに従うかという判断には、脳の特性と過去の成功体験が影響しているらしい。傾向として、経験を積むにつれ冒険を求める思考より安全を求める思考の影響力が増し、脳の特性が変化していく傾向があるというのだ。

そうして、思い込みの三段論法が永遠に通用するものだと思い込んでしまうのである。

 これを防ぐためには、三段論法を成立させている条件に変化がないかを常に検証しなければならない。そのことが、圧倒的な成功を収めているライバルに立ち向かう際には大きな武器となる。同じ戦略で戦うのではなく、三段論法の最初に立ち返り前提を崩すのである

一方の任天堂も、かつての成功者である。だが、ソニーの「性能競争」という挑発に乗り、苦戦を強いられた。当然、戦法の見直しを迫られる。よく考えてみれば、騎馬隊と戦かわなければならないといって、必ずしもこちらが不得手な騎馬戦で応じる必要はないのである。この結果生まれたのが、次の三段論法ではなかったか。

「ゲーム機の売り上げを伸ばしたい」→「楽しさの提案力で他を圧しなければならない」→「新しいインターフェイスを提案する」

高性能チップを開発できないという非成功体験(失敗を含むが,できないことはできないと判断して失敗まで至らないものも含まれる)によって,技術開発の呪縛から逃れたのか.



下のエントリー』にあるように,枯れた技術の水平思考に舞い戻ったのか?