継続的イノベーションか、手つかずのままか
町の活性化には、外部の人(旅行者など)の力が必要だ。しかし、その力を利用すると決めた時、大きな分かれ道に地域は立たされる。
通常、町作り、町おこしは、既存の資源を新しい組み合わせで再利用していく。それは創造そのものであり、イノベーションである。イノベーションは、新しさゆえ、人を惹きつける。しかし人は同じものを見続けると次第に飽きる。
飽きが来ないようにするには、珍しさを絶えず作り出せるような継続的イノベーションが必要だ。新しさを求めてさまざまな動きをし続ける。
だが、人は新しさだけに惹きつけられるのだろうか?変わらぬことにも引き寄せられるはずだ。変わらぬことは、懐かしさや安心感(変わらないことに意味が見いだされる)を生む。
故郷に帰りたくなるのはあの子供の頃の日々を懐かしみ、故郷の風景が変わらないからだろう。京都に行きたくなるのは、小中学校の歴史の時間に見聞きした話、修学旅行に行った時の甘酸っぱい思い出、大人になってからはお庭、建物、祭り、歴史等々を追い求める気持ちのせいだろう。
不変は停滞だけを意味するわけではない。京都のお寺は変わらない。変わらないから行きたいし、変わらないから知られざる寺社が悠久の時間の中でわれわれを待ち続けてくれている。探せば探すほど知れば知るほど、未知の部分が増える。その未知は変わらぬ歴史の中に位置づけられている。「あ。ここって、義経と関係があるんだ」「近藤勇が居たところだ」等々。変わらぬ歴史が変わらぬ寺社を支えている。そして、そのことが人を惹きつけてやまない。惹きつけられるたびに知らない部分が現れる。
●人は停滞に飽きる。人を惹きつけるためにはイノベーションによって新しさを生み出し続けなければならない。
●人は変わらないことを望み、倦まない。変わらないことを楽しみにまた見に行く。だが、深みがない不変性も飽きられる。だから、生半可な不変ではたりない。守ることに割かなければならないエネルギーは膨大になる(しかし、地域住民一人ひとりが少しずつ分担すれば分担せねばならないエネルギーは少しになるかもしれないが)。
いずれかの道を選択しなければならないが、前者を押す声が多すぎるのが気になる。